2012年8月30日木曜日

2つの国をバックグラウンドに生きるってとっても苦しい。


どうも!マニラのまこちゃんです。
今日はちょっと自分のことを書きます!
いつも自分のことしか書いてないがな!

こないだとんかつYABUの2号店へ行ってきました!
新しく出来たモール、Robinson's Magnoliaの中にあり、
平日昼にも関わらず人が店の外に溢れるほどの人気でした。
さすがYABUです。
カロリーが気になるのでなかなかいけませんが、
またいつか行きたいです。店舗の展開に注目していきたいです。

















おいしかった。





本題は・・・
ちょっと・・・
重いかも・・・。


はい。







自分の外見が嫌いです。

外見をはじめ、自分に自信なんて1ミリもないです。
それは外見だけではなくて自分自身がコンプレックスの塊で、
自分という存在に自信を持てないです。

自分の写真をウェブ上に頻繁にアップするのは
自分に自信があるからではなくて、
女の子の写真があるとないとでは
ある方が多くの反応を集められることを知っているからです。

もう一度言いますが
自分に自信が1ミリもないです。



外見で何かトラウマになるような経験をしたことがあるのか?
Noです。

まぁ小さいことで傷ついたことはなくはないけど、
それは例えば小学生のときに男の子に肌が黒いことをからかわれたとか
その程度なので、こうして深く自分の外見を
コンプレックスに思うほどのことではないかと思います。


これだけ自信がないということは他人に外見で認められた事がないのか?
これまた当てはまらないと思います。

自分で言うのは少し小っ恥ずかしいですが、それなりにちやほやされてきたし、
肌が黒いのはちょっとあれだけど、客観的にみて目が大きいのとかは
日本人から見たら羨ましがられる要素にもなりうることもちゃんと分かってます。
社交辞令含め、ハーフ顔で羨ましいなんて何百回も言われてますから。

私は自分がどのように人に見られているかというのをすごい気にするので、
自分がそこまで気にするほどの外見をしてるわけではない事もちゃんと分かってます。




なのに
自分の外見が嫌いで醜くてしょうがない
本気で思っています。
ここまで書いて変に謙遜とかしないです。
結構本気です。


そんな自分がなんでこんなにも自分を醜いと思っているのかを
考えてみたらひとつ答えみたいなのが出て来て
そしたら自分自信の醜さがさらに露呈して吐き気がして
うまく表現できるかわからないんだけどちょっと書いてみます。



自分がどう見られてるかは分かっている
のに
自分に自信が1ミリもない


ヒントになったのが、
私の持っている日本人の女の子に対するすごく羨ましいなっていう感情

でもこの感情って私の予測にすぎませんが
日本人のいう「まこちゃんのハーフ顔羨ましい」とは
根本的に違うような気がするんです。

日本人の言う「ハーフ羨ましい」
なにか華やかなイメージをもつ憧れに似たような感情を含んでいるように思います。


「くっそー何で私は純日本人なんだ!ハーフで生まれなかった自分が憎い!」
っていうことはないと思います。だって日本で日本人でいるんだもん。
日本で日本人の外見もつって何も不自由ないじゃないですか。
その人たちの羨むハーフ像はアクセサリーみたいなもんで、
「あったらいいな」であり、「ないと不自由」ではない。


私のいう「日本人の女の子かわいい」
本来持ち合わせることができたはずのものを得られなかった私の
なにか嫉妬というか憎いという感情とか
そういうのが含まれているような気がします。
「他人と比べる必要はない」っていうのは今は当てはまりません。
私には日本で生きていく上で日本人の外見が「ないと不自由」なんです。


単品で考えたら
「ハーフ羨ましい」とか他人から憧れのまなざしを受けるのって
すごく自分のなかでアドバンテージになることのはずなのに、
(「ハーフいいな〜」ってハーフだって辛いことの方が多いんだぞ!
という議論は今は抜きにします。)
それなのに「日本の女の子かわいい」っていう嫉妬心が圧倒的に大きくて、

それってよく考えたら、
フィリピンっていう自分の中にながれる血を憎んでいるんじゃないか
って結論が出ました。

自分が半分フィリピン人であることによってなにか窮屈な思いをしたり
知らず知らずのうちにストレスを感じていたり
そういうのが溜まりに溜まってピュア日本人に対する嫉妬のような感情が生まれ
それが今の自分への自信のなさに繋がっているんじゃないかと
そんなことを思いました。

この間、
表現者には欠落があると言われているけど
まこちゃんは自分自身に欠落していることって何だと思う?」

と聞かれたときにまっさきに

「ピュア日本人でないことが欠落である」
ということが浮かんだ自分にうんざりしちゃいました。

自分の生まれた国を知りたくて、
自分が活躍できるフィールドを広げたくて、
お母さんにもっと近づきたくて、

色んな理由でフィリピンにきてもう1年3ヶ月も経つのに、
未だに自分がフィリピンの血をもっていることを
どこか後ろめたく思っているそんな自分に幻滅して吐きそうになります。

フィリピンを差別するような日本人に腹が立ちます。
けど自分自身がこうして後ろめたさを持っているなら、
腹を立てる立場にもないと思います。心が綺麗じゃない。

フィリピンにルーツをもつ日本に住む子供たちが
窮屈な思いをしないような社会になったらいいなって思ってるけど、
自分自身が自分を認められていないなんて
この1年3ヶ月私はなにをしてきたんだろう。


そもそも自分が自分を醜いと思っているなんて
すごく悲しいことだなって思います。

自分自身が醜いと思っているものを
誰が心から美しい、愛しいと思ってくれるんだろう。




2つの国をバックグラウンドに生きるってこんなに苦しいんだって
フィリピンにきて気付いてしまいました。
もちろんこっちにきて晴れたもやもやもたくさんあるけど、
いろんな経験をしたら目を向けてなかったところまで見えてきて
さらには自分の醜さも見えてきて、本当に苦しい。


人生って疲れるな〜。
本当に、本当に疲れるな〜。
結論が出たようでなにも変わらないような、
そんな記事になってしまいマシタ…。
これを書いたことによってもっと自分が嫌になってしまいました。
そしてこんな自分の気持ちが救われることなんて一生ないんじゃないか、
そんなことまで考えてしまっています。馬鹿ですね。

こういうときどう思うの?とか
質問があったらしてくれると逆に嬉しいです。
日本で生まれて育った人からの質問は
結構自分の中で考えもしないようなこともあったりして、
気付けることとか、考えるきっかけをくれたりするので。
「そんな無礼な質問するな!」とかいう段階はもう超越しているので、
こんなこと聞いたら失礼かなっていうのは私に限っては思わなくていいです。

という感じですね。
来月2週間一時帰国するのでそのときまた一旦休憩しつつ、
残りのフィリピンで出来る限り自分らしく過ごせるように、
頑張っていきたいと思います!元気です^^

ここまで読んでくれてありがとう。
まだまだゆらゆらし続けますがこれからも頑張ります。

Mako